徒然ブログ 風まかせ筆まかせ

日々の気づきと雑感 食べもの、映画、本に天気が多いです

映画『空白』を観て、喜怒哀楽を考えた

封切り初週に映画を観るのは、

①いち早く観たいから

②一週間しか上映しないから

③翌週の上映回数が少ない・時間が合わないから

なのだが、今回は①寄りの③

主役の古田新太(古いんだか、新しいんだかわからないなあ)が、インタビューで、『役者は演技が終われば帰れる。監督の言うようにやればいい。細かい設定なんかどっちでもいいんだ。』という事を言っていた。作品は監督のもので、役者はコマ。コマを上手く動かすのが監督だろうが、監督の意図をうまく汲み取り、上手にコマに徹するのが役者なんだろうとは思っている。

仕事も、相手が上手く動けるように、仕事と相手の意図を汲み取り自然に出来たらなあとは、常には思っている方だが、未だ道半ば也。

いつものシアターの2番目に大きいスクリーン!に4人は淋しい始まりとなった。

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【あらすじ】

ある日突然、まだ中学生の少女が死んでしまった。スーパーで万引きしようとしたところを店長に見つかり、追いかけられた末に車に轢かれたというのだ。娘のことなど無関心だった少女の父親は、せめて彼女の無実を証明しようと、店長を激しく追及するうちに、その姿も言動も恐るべきモンスターと化し、関係する人々全員を追い詰めていく。現代の「罪」と「偽り」そして「赦し」を映し出す、𠮷田恵輔監督オリジナル脚本で挑むヒューマンサスペンス。

観る者の心臓をあわだてる悪夢のような父親・添田充を、7年ぶりの主演映画となる古田新太が演じる。土下座しても泣いても決して許されず、人生を握りつぶされていくスーパーの店長・青柳に、古田新太と実写映画初共演となる松坂桃李。その他 出演者には、田畑智子、藤原季節、趣里、伊東蒼、 片岡礼子、そして寺島しのぶなど実力派俳優から、眩しいまでの才能を放つ若手までが揃った。この現代に生きるすべての人々の、誰の身にも起こりえる出来事に鋭く視線を向けた監督・𠮷田恵輔の「脚本」に俳優陣がケレン味なく体当たりした。

 

【感想】

突然、娘を亡くした父の怒りが常識を脱していく様は、それすら常識かもと思わせる。悲しみ以上の怒り、真実を知りたい欲が駆り立てる怖さは、誰にでも内存しているのかもしれない怖さでもある。古田新太の無骨さ、ストレートさは役に合っている。関わる店長や、初めに車で轢いた加害者、償いを受け入れてもらえず自殺した加害者の母、追いかけた店長を助けようと翻弄するパート店員、都合よく切り取ったマスコミ報道、負の連鎖がどんどん深く広がっていく。万引き未遂の真実や娘が残していったものから、受け入れられない、折り合いをつけられないでいる主人公が、少しずつ変わっていく様も感動した。

怒りも悲しみも、そう簡単には収まらないし、ましてや消えることはない。それでも、時間が、流れる時間の中で少しずつ、わかっていくものもある。時間に任せるのではなく、時間が経った時に思うものが何かは、その時でないとわからない。だから、今はすぐ答えは出ない。というのが答えになっていた。多分、そうなんだろうと思って安心した。

怒るのにはエネルギーが必要。悲しむのにもエネルギーが必要だし、エネルギーを吸い取られるようなもの。だからなのか、幸いなのか、怒り続けることも、悲しみ続けることも、人間は本当には出来ないようになっているのではないかと。

直後の感情は直後の感情で、それに良し悪しは多分ないのだろうが、時間が物事を自分の心を客観視できるようにしてくれるのだろう。

喜怒哀楽。人の感情の代表的なものを現したもの。感情豊かともとれるが、出来るなら、喜と楽の感情が多く出る持てるようにしたいと思った。

喜と楽は似ているように思ったが、よく考えると喜は対象があってどちらかといえば受動的な感情。楽は対象がなくても出来る自主的な感情。なのかなと。それなら、楽と感じる時間を出来るだけ多く持ちたい。

人の心は変わりゆくもの。ましてや他人なら推し量りようがない。

諸行無常は、これにも言えるかなと。

【おまけ】

同じ列の映画好きかな風の学生風の男子が、一つ目のクライマックスで泣いていた。泣けていない自分を、強くなったとも思う一方で、感受性が弱まった鈍ったのかなあと少しの寂しさ悲しさを感じた。それでも、二つ目のクライマックスでは、2人とも同じ状態だった。鈍っていない感受性にホッとした映画でもあった。