4月最後の金曜、みどりの日。朝の散歩
は、8時オープンの近くのパン屋🍞🥪まで。
緑と綺麗な草花が迎えてくれる。
職場のミドリも青々しい。
5月初日は日曜日。映画週間として、もってこいの休日に、いつもの映画館の最大のシアターで、『英雄の証明』を観る。
(以下、公式ページからのあらすじ)
大きな正義感と小さな嘘。
「賞賛」と「疑惑」が交錯するソーシャルメディアの光と闇。
汚された名誉、狂わされた人生の行方は-
元看板職人のラヒムは借金を返せなかった罪で投獄されている服役囚だ。そんな彼の婚約者が、偶然にも17枚の金貨が入ったバッグを拾う。それは将来を誓い合った恋人たちにとって、まさしく神からの贈り物のように思えた。借金を返済さえすれば、その日にでも出所できるラヒムは、金貨を元手にして訴訟を取り下げてもらおうと奔走するも示談交渉は失敗。いつしか罪悪感を持ち始め、金貨を落とし主に返すことを決意する。するとそのささやかな善行は、メディアに報じられ大反響を呼び“正直者の囚人”という美談の英雄に祭り上げられていく。吃音症の幼い息子もそんな父の姿を誇らしく感じていた。借金返済のための寄付金が殺到し、出所後の就職先も斡旋されたラヒムは、未来への希望に胸をふくらませる。ところがSNSを介して広まったある噂をきっかけに状況は一変し、周囲の狂騒に翻弄され、汚された名誉を挽回するためラヒムは悪意のない嘘をついてしまう……。
“英雄”ラヒムをめぐって、彼の行いを褒め称える者、利用しようとする者、疑惑の眼差しを向ける者たちの思惑が絡み合う本作は、人間の倫理観を問うサスペンス劇である。ファルハディ監督はそうした普遍的なテーマを追求するにあたって、いまや世界中で絶大となったSNSやメディアの影響力に着目。英雄として持ち上げられ、一方で詐欺師と呼ばれるラヒムのとてつもなく振れ幅の大きな運命を通して、真実というものの曖昧さや、社会に潜む欲望とエゴを現代的な切り口であぶり出す。
(ここまで)
イランという異国を舞台にしているのも、真実を伝える大変さ、求める誠実さを現すのに効果的と感じた。
この他の感想は、
・見えるものという真実の一部を切り取られた場合、切り取られたなりの真実として成立するが、全体から見れば、必ずしも真実を表していることにはならない怖さがある。それに扇動されることで、さらに真実を遠ざけてしまう怖さを感じた。
・見えるものを真実として証明するのも、時として難しくなるが、それ以上には限見えないものを真実として証明するのは、更に難しいと思った。
・SNSの手軽さは、真実もそうでないことも、簡単に広めてしまい、真実を見えにくくしてしまう怖さ、それを鵜呑みにする怖さ。発展途上国であったら、尚更だろうと思った。
こうして、いい映画から始まる5月。次の映画が楽しみになる。