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映画『逃げた女』と半径100メートルの幸せ

あっという間の帰省は、掃除と片付けを済ませ、海の帰りの渋滞前に出て、オリンピックの開会式を見ようとする。

案外、スムーズに流れて余裕の帰宅。

ビール飲みながらの開会式は、日本らしさが盛り込まれたとも言えるが、せっかくのステージの使い方が小さく、ダイナミックさ、大胆さ、華やかさは、予想通りイマイチ。北京大会の太鼓の演舞やバルセロナの旗のパフォーマンスには及ばない。花火や映像と光の演出も、サカナクションのコンサートほどのドキドキさはなかった。

そうして土曜になり、昼を挟んでいつもの映画館の最後列で、『逃げた女』を観る。

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以下、公式ページから

ホン・サンス作品の代名詞ともいえる長回しや奇妙なズームアップの演出が、一見たわいない会話、登場人物の気まぐれな行動を通して、愛や結婚、さらには人間や人生の本質をユーモアと詩情豊かに描き出していく。果たして「逃げた女」とは誰のことなのか、そして、彼女は一体何から逃げたのか――。

ガミは、5年間の結婚生活で一度も離れたことのなかった夫の出張中に、ソウル郊外の3人の女友だちを訪ねる。バツイチで面倒見のいい先輩ヨンスン、気楽な独身生活を謳歌する先輩スヨン、そして偶然再会した旧友ウジン。行く先々で、「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉を執拗に繰り返すガミ。穏やかで親密な会話の中に隠された女たちの本心と、それをかき乱す男たちの出現を通して、ガミの中で少しずつ何かが変わり始めていく。

というもの。

長回しからのズームアップは、ドキュメンタリー映画のようなリアリティーと臨場感を生み出していて、斬新に感じる。

会話で、「世間は何も分かっていない」というセリフがあるが、現実の、現実を生きる大変さを端的に表している言葉に思えた。

逃げた、とは、相手本位に送っていた結婚生活と気づき、人生の主体という意味での自分本位でいい自分の有り様から逃げていた、という意味ではと解釈した。

観終わってからは、自分の人生の主体は相手や他人ではなく、あくまで自分であり、自分らしく主体性を持って生きていくのでいいのだと、再認識した。

自分の人生を生きる。素直にそうありたい。夏目漱石も、この事で悩み気づいたのだし。

昼はココ↓

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のコレ↓

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味噌チャーシュー

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(麺が茹ですぎで、醤油がデフォルトと再認識した。)

気を取り直して、100メートル先のケーキ屋に入り、スイーツパスポートで、バナナ入りショートケーキのバナーヌと、生シュークリームとチョコ生シュークリームを買う。

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と、これだけでお得なのに、さらに、チョコ生シュークリームを一個、今日は暑いからオマケとつけてくれた。ここは、おまけがつくことで有名だが、スイーツパスポート使いにも付くとは、有難い。

バナーヌ↓

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生シュークリーム↓

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チョコ生シュークリーム↓

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を冷えた室内で、ブルマンブレンドで頂いた。オマケは、素直に嬉しい。

両店の距離、たったの100メートルというのも嬉しい。

にわか雨が上がって買い物先で見つけた海鮮あふれちらしの夕食で、なんとかバランスを取ろうとする4連休3日目だった。

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