徒然ブログ 風まかせ筆まかせ

日々の気づきと雑感 食べもの、映画、本に天気が多いです

右の反対は左にあらず

昨夜帰省した。

前回に続き、いつもより1つ手前のインターで降り、山間の国道を駆け上がる。

出る前に、途中のトンネルが20時から片側交互通行と知りナビで通過時間を測ってみる。

少し慣れたかと思いきや、下りの右カーブだったものは、上りの左カーブであり、アクセルもブレーキもいらない下りの緩いカーブは、だらだらアクセルを踏み続ける上りとなる。

頭では理解しているが、下りがデフォルトとなっているため、それとの比較での運転になってしまう。

もちろん道は一本で、その反対側を走っているだけだが、ぎこちなさは、まるで利き手と逆の手で作業をするかのようで、違和感が拭えない。

右の反対として左があるのではない。ある訳ではないと気づく。右は右として存在し、対極に左があるのではなく、左は左として、右の存在の有無に関係なく存在している。とかく、左右をセットで考えがちだから、上りと下りという意味合いが異なる環境では、相対的に存在するのではなく、絶対的に存在しているという事かなと。

絶対的な相対的存在とでも呼ぼうか。

相対するようなものでも、それぞれ独立して存在しているということ。

一方は他方との相対的関係で存在しているのではなく、相対関係でくくるという概念もあるということでは。

これは、物事の捉え方にも通じるのだろう。白と黒、赤と青、善と悪。生と死も。時には、表裏一体のものとして存在もするが、時には一方は他を気にせず存在もする。時と捉え方に応じて変わったりもする。両者の間で絶えず揺れ動きながら存在するものと考えれば一極に寄らずに、柔軟に考えられるのだろう。それは楽さにも繋がる。ブログタイトルの風まかせは、こういう揺れ動くことを表している。

相対的二極論とでも呼ぶが既出かもしれない。

肌寒さを感じる小雨降る土曜の午前に、こんな事を思うのも、哲学の秋?のなせる技なり。

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日中に通過すれば、秋の深さをしっとり感じる事ができる山岳国道のショット