徒然ブログ 風まかせ筆まかせ

日々の気づきと雑感 食べもの、映画、本に天気が多いです

ジョンレノンの命日に、映画『マーティン・エデン』を観る。

大型電気店に行けば、職場の人に会うこと五分で2組。下見、物色の12月でもある。

そんな日曜から始まり、火曜日は忙中閑あり、と決め込んで、ポスターに一目惚れした映画『マーティン・エデン』を観に、その夜も、いつものシアターに向かう。そうして、いつもの最小スクリーンの最後列で見始める。

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以下、映画館のホームページの案内から

貧しい船乗りの青年が上流階級の令嬢との出会いを機に文学に目覚め、作家を目指すが…。「野性の呼び声」で知られる作家ジャック・ロンドンの自伝的小説を、イタリアを舞台にして映画化。あの『ジョーカー』を抑えてヴェネチア映画祭男優賞に輝いたルカ・マリネッリの熱演が圧巻。

とある。

 

主人公は、労働者階級を脱し一目惚れの令嬢と釣り合うようにと、教養としての文学に目覚め、作家を目指すようになる。しかし、自身を認めてもらえず彼女とも別れることになり、その後の努力の末、作家としての名声を得た。その彼のもとをその彼女が訪れ、再生を願う。しかし主人公は、再会は自身が名声を得たからと考え、当時のそのままの自分ではなく地位が向上したから自分に会いに来たと悟る。高い地位は、低い位置にあった事の相対的な裏返しであり、そのもの自体が消えずにいて、いつも根本にあるものとわかり、自暴自棄になってしまう。

というのが、自分の言葉での解説。

脱出したい現実から脱出しても、根本的な事や考え方までも変化や昇華はしない、そうと気づいた時の虚しさ、無気力な感じを見事に演じていた。

のしあがるための武器としての教養はあっていいものだが、それまで生きてきて身についたものまで大きく影響を与えることはどれどけあるのだろうか?根本まで変わりゆく変化など、本当にどれだけあるのだろうか?それでも、そう望まずにはいられない現実を受け入れなければならないのだろう。

しかし、その一方で純粋な欲を持つこと、持ち続けることの素晴らしさもあるように思う。

私の物欲過多も、純粋ゆえの結果である!ようなそんなでもないような‥‥‥と、言い切れないことが答えでもあるような。

 

終われば夜9時。この時間、開演を待つ人で溢れているのは異様。シアター前に掲げようとする看板を観ると、『イマジン』だった。この日は、ジョンレノンの命日で、一夜一回限りの上映を待ちわびる人達だった。

1980年12月8日は命日となった日。小学生の冬の日、何かはわからないが、世界のどこかでの出来事を騒々しく報道していた日というのは覚えている。その日の帰宅路は、冬枯れた空、淀んだ灰色の雲と木枯らしの景色だったことは、なぜか覚えている。