徒然ブログ 風まかせ筆まかせ

日々の気づきと雑感 食べもの、映画、本に天気が多いです

読了 『名ばかり大学生』河本敏浩著

昨日は、ある学部の推薦入試の業務があった。またの再会を皆に願った。

そんな日に奇しくも読み終えた新書が、『名ばかり大学生』

f:id:kazukun2019:20200202234159j:image

この正月にブックオフで見つけ、積読リストになる前にえいやっと着手した。当て所なく新書コーナーで探す背表紙は、どうしても仕事関連になる。

単なる学力低下を嘆くだけではなく、その根拠や発生プロセス、低下している層の分析から始まり、今後の展望を説いたもの。

・自分の所属する大学の「生き残り」を考えて新設学部の設立を急ぐと、少子化の中では入学者層の低レベル化を招き、大学生の学力低下低下(というより自らの教え子たる大学生のレベル低下)を招いてしまうのは自明のことである。

 だから、大学の教員には高校批判、中学校批判、小学校批判、家庭批判は許されない。そもそも何人中何番までが合格と定める試験を続けているのは当の大学である。こういった試験のもとで定員を維持、あるいは拡大すれば、自らの教え子たる大学生のレベルは下がって当然である。

 大学の教員がため息まじりに嘆く、目の前の大学生の基礎学力の欠如については、少なくとも自業自得という他ない。

→とあり、これなら定員削減かと思っていたが、

 

・ただ、定員を絞ることによって矛盾から目を逸らす愚を、私たちはすでに医師養成に関する政策で経験している。定員削減ではなく、拡大させつつ育成させる方向に、解決策の軸足を置くべきだ。

 

として、大学進学率が50%超えの今、昔のきつい選抜により入学資格を勝ち得た世代ではない世代を対象とする必要を説いている。その上で、入試時の成績よりも、大学入学後の初期教育が、その後の学びに与える影響が大きいため、諸外国式に、とりあえず入れてから選抜をし、卒業に向けてふるいをかける手もあるのではとも書いている。

一部の中学生、高校生の、ゆとり教育などには組みせず、勉強に邁進してきた層の学力は低下してないが、そうでない層の学力低下が著しく、受け入れた大学は、その底上げをする必要があるという観点は、前々から自身が持っていた考えと同じ。○○責任という言葉があるが、さしづめ選抜者責任、入学許可機関責任というものは感じる必要はあるだろう。

 

この週末に届いているであろう入学願書が、昨年より出来るだけ多いことを、「名ばかりだったかもしれない元大学生」は願うのだった。