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運命の名優、高倉健さんの初エッセイを再び読了『あなたに褒められたくて』

先日、自分の誕生日は高倉健さんの命日でもあったと書いたが、その頃、市立図書館の文庫本コーナーで偶然目にした一冊。高倉健さん著『あなたに褒められたくて』を読んだ。1993年8月が第1刷で、2014年の12月のものは、23刷になっていた。

当時はハードカバーで読んだ記憶がうっすらとあるような。

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健さんは、役者の仕事を一期一会の旅ととらえている。国内はもとより、外国、極地と、まさに世界を股にかけて活躍した名優ゆえの感性が、所々に感じられる。

例えば、こんなやりとりを綴っている。

 

海水をつけて西瓜がとてもうまかった。

魚の好物だと聞いていたので、西瓜の皮をポチャ、ポチャと捨てていた。

振り向くと由五郎君が皮をビニール袋にためている。

「それ、海に捨てないの?」

「はい」

「どうして」

「………」

「んッ‼︎」

「海、汚したくないっすから」

「俺は、魚のエサになると思って捨てたけど、なぜ注意してくれないんだ」

「言うと押しつけがましいし、我々猟師仲間だけでも、そうしようって決めたんです」

(西表の青年・由五郎君)

こういう純粋な気持ちに素直に反応する健さんも充分純粋。

かと思えば、人の核心を突くようなことも書いている。

 

要するに思いが入っていないのに思いが入っているようにやろうとするから具合が悪いので、本当に思いが入っているのに、入ってない素振りをするところが格好いいのかもわかんないんですね。

(お心入れ)

と、男、高倉健ここにあり!みたいなのもある。

他にも、少しぶっ飛んだ金銭感覚度外視の所有欲なんかも伺い知ることができる。

 

ふつうは、やはりそういう人ができて、牧場があって、それから犬ぞりを買うと思うんですが、どうも絵の方が先にいっちゃうんですよね。ああ、この犬ぞりを買っておけば、きっといつか……。

船だって、置く場所ないのに買っちゃったし。

(お姫様の膝掛け)

 

そうして、人を愛すること、想うことを、共感の形で表している。

 

「愛すると言うことは、その人と自分の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」

幸福の黄色いハンカチ』の北海道ロケ中に、ぼくが、山田洋次監督に、愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答えでした。

(ウサギの御守り)

 

その昔、テレビCMで、『不器用ですから、どうか幸せで』と朴訥と語るものがあり、自分のキャラとは真逆の、渋さと重さを兼ね備えた佇まいと言い回しに、ファンだったと自覚させられた事があったが、そんな人の初エッセイを何年か振りに読んで、あらためてファンであることを自覚し、ファンでよかったと思った。

こうして、初回に読んだ時の感想も蘇った。

初回にタイトルを見た時も、今回も同じ直感だったこと。

それは、タイトルにあるあなたとは、他でもない健さんの母のこと。厳しかった母に、やはり健さんは認めて欲しかった。そのために、そう思いながら役者を続けていたのだ、ということ。

認めて欲しいとは、自然な感情でもあるが、おこがましさもどこかにある。それでも、父や母に認めて欲しい、頑張ったことを伝えたいのは、やはり自然な感情なのだろう。