徒然ブログ 風まかせ筆まかせ

日々の気づきと雑感 食べもの、映画、本に天気が多いです

連休初日の休日考

忙しかった今週も土曜となる。窓口、電話、書類、全て学生に関わり、その親、それら全て生活に関わること。と、痛感させられる事態があった。バネは伸び縮みするもの。されば今は縮む時。縮む時はしっかりと縮まなければならない。誠意、虚心淡々、誰のための何のための仕事なのか、あらためて思い知る週末になった。

それでも10連休はやってくる。初日は、少しのデスクワークがあり、二度出勤した。その間、タイヤ交換と整備のためにディーラーへ。

店内のスタッフも訪問客も、心なしかワクワクに見える。

そういう今は、アジの刺身を附属農場の酒米で作った純米大吟醸酒で頂く。刺身は食べるでお酒は頂く?

誰でもそうだろうが、夏休みもそうだろうが、休みの入口が最高に楽しい。何をしなくても楽しい。旅行雑誌を眺め、地元の情報誌を眺め、近々の旅先と、今月中に予約したいお店を思いあぐねる。

ここで、日頃から溜めていた想いの休日考を。

休み下手とか休めないと言われる日本人。家畜農耕民族故に、餌やり水やり肥料やりの日課では、空けることは即生活の糧を失うか身入りを減らすことになる。それに、資源が乏しく専ら生産国、加工国。休めば止まる国。勤勉を美徳としてきた故に高度成長が出来たことで今がある事は感謝しかない。

働き方改革というスローガンは結構だが、休み方をわからないのに休めは難しいのかもしれない。休む事で得るものがわかっていると出来るだろうに、そういかないカラクリは物欲に支配されているからかも。モノで満たされるのは視覚的には結構だが、ココロもそうかといえば、そうとも限らない。買ったから食べたからでは、コスパや満足度を自然と求めることになる。対してものではないモノで満たされる場合、そこにはコスパや満足度の尺度は最初から持ち込まれない。故に得た時の満足度の満足度?満足度の本質度?は高いことになる。のではということ。景色や人、触れ合いで得るものは、写真以上にココロに残る。

休日を、安息日として穏やかに過ごす考えと、休日故に普段しない事をして積極的に休む考え。身体を少しでも動かし続けることで、休まるヒトもいる。自分に合ったもので、よい休日となればいいのだろう。

10連休。1年365日の2.7パーセント。たかがと思うほど、休み慣れてはないが、この機会に休みを考える休みにしてもいいのかもしれない。日本国民に、降って湧いて突きつけられた今回の事と思っている。

ちなみに私は、根っからのキリギリス派。もちろんアリに憧れる日本人ではあるが、なれないのも充分知っているつもり。楽しみを知っているから、苦しみを乗り越えられる!とは詭弁と言われてもいい。例えるなら、A級グルメを知っている故のB級グルメのB級度を理解出来て語れるのに似ている?かなと。本物を知る事は大切。とは論点すり替えか?

こうやって、ダラダラと書くことが出来るのも10連休の入口のなせるワザなり。

f:id:kazukun2019:20190427231139j:plain そこの名物、円盤餃子は22個。確か本店では24個だったかもとは、遠い昔の記憶になりにけり。