今日は祖母の命日。その日も暑かった。
当時、中1の夏休み。衰弱してきたため、移した部屋が片付いていたのは、その先を見越してのことだったと感じたのはずいぶん後だった。
医師が来て、容態を確認している間、その言葉を聞くのが嫌というか怖くて、家の壁にボールを投げていたのを思い出す。不謹慎と怒られたが。
亡くなってから、その後の事は思い出せないが、父から用事を頼まれ、自転車で文房具屋に行ったのは覚えている。何もわからず、何も出来ない中で、役割があったのが嬉しかったと感じた記憶も残っている。
その後、母が亡くなった際には、過去帳を新しくしたが、開いてわかったのが、先祖の中で、6のつく日に亡くなった方が多いという事。偶然としても、驚くくらいに集中していた。以来、6のつく日は用心していたが、それも数年後には消えても、毎年、この頃になると思い出すこと。
それから、広島に原爆が投下された日。
戦争の終了のためという名目だったとしても、その大雑把な感覚は、日本人として理解が出来ない。でいる。
出張で始めてその地に行く事が決まった時に、真っ先に、原爆ドームと平和記念資料館を訪れることを決めた。一度は行かなければならないと思っていた場所。
入って最初の写真から、涙がたまってきた。最後まで見終わるためには、ここではまだ泣けないなと思いながら見ていた。その当時、現実に起きたと想像したら、怖くて悲しくて悔しくて、という感情が一瞬で混じり合い、表現しきれない感情になった。何万人が一度に亡くなったのではあるが、ひとりひとりの死が何万とあったと考えるとなお。
疲れはしたが、やっと向かい合えたような気がした。
そうして、石碑に刻まれた言葉を、まじまじと見つめていた。2015/5/26
アメリカも含め様々な外国人も多かった。それがせめてもの救いのように感じた。
この時に、もう一つの行きたかった場所。広島美術館。アーチ型の複数の小部屋を回るようにして鑑賞する。そこは平和を感じようとしなくとも感じることができる癒しの場所となった。2015/5/25
ちょいと奮発したホテルの部屋からは、眼下に美術館の全景の他にも、額縁のような窓越しに広島城も見える。
食べ物で締めるいつものパターンだが、広島編はいつかにするとし、今回はこのままとしよう。