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映画『天国にちがいない』を観て、歴史と予習の大切さを知る

2月後半も雪の朝。近年にない雪の年だが、昔は当たり前だったと思えば少し気は楽かな。

そんな週末金曜日は、いつもの映画館のいつもの最小シアター最後列真ん中で、封切り日に映画『天国にちがいない』を観る。

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以下、公式ページからのあらすじ

果たして我々の
“故郷”と呼べる場所とは
何なのか―?
アイロニーに満ちたユーモアと
詩情豊かなイマジネーションで贈る
珠玉のコメディー

映画監督であるエリア・スレイマン(以下ES)は、新作映画の企画を売り込むため、そして新たなる故郷を探すため、ナザレからパリ、ニューヨークへと旅をする。
パリでは美しい景観に見惚れる一方、街を走る戦車、炊き出しに並ぶ大勢の人、救護されるホームレスを、ニューヨークでは映画学校の講演会で対談相手の教師から「あなたは真の流浪人ですか?」と唐突に質問をされ呆気に取られながら、街で銃を持つ市民、上空を旋回するヘリコプター、セントラルパークで警官に追われ逃げ回る裸の天使を目の当たりにする。さらに、肝心の映画企画は友人ガエル・ガルシア・ベルナルの協力を得るも「パレスチナ色が弱い」とプロデューサーからあっけなく断られてしまう。
パリからニューヨーク、いかに遠くへ行こうとも、平和と秩序があるとされる街にいようとも、何かがいつも彼に故郷を思い起こさせる。新たなる故郷での新生活への期待は間違いの喜劇となる。
アイデンティティ、国籍、所属に巡るコミカルな叙事詩(サーガ)。
まるで、どこに行っても同じ――。この世界はパレスチナの縮図なのか?
そこでESはある根本的な疑問を投げかける。「我々の“故郷”と呼べる場所とはいったい何なのか―?」
ナザレ、パリ、ニューヨークと、ひとりの男の極私的な旅路を、その地独特の街並みや慣習を美しく軽やかに演出。気品あふれる映像美に酔いしれる。あくまでエレガントなタッチを崩さず、「パレスチナ問題」をユーモラスに演出。だがそこには、監督の強烈な政治的メッセージが込められている。

というもの。

自然の景色、人々の風景の中に、紛れ込む不自然なシーンが混沌としていき、いつしかそれも現実に見えてしまう不思議さ。

中でも感慨深いセリフが、

「普通、人は忘れるために酒を飲むが、お前たち(パレスチナ人のこと)は、忘れないために酒をのむんだな。」というもの。そこに問題の複雑さ、根深さが集約されているような気がした。

終了後に馴染み客なのか、受付のスタッフの人に、「もっと歴史がわかれば面白いんだろうな」というような事を話していたが、同感同感。予習の大切さを知った。

封切り日に、この種の映画で程よく席が満たされることに、映画好きな街にいると改めて思い知った。