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映画『最初の晩餐』を観る

雨水の翌日にふさわしく、雪を踏む事なく山越えで帰省。

昨日の仕事終わりは、えいやっと映画を観ることにした。

21時開始なら、帰宅前にチケットを買わないと、そのまま出て来なくなると予想し、買って帰宅して出直したいつもの映画館。6人だけで、最終上映の『最初の晩餐』を観る。

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ストーリーは、

登山家だった父(永瀬正敏)と母(斉藤由貴)再婚同士で、20年前に家族となった。麟太郎(外川燎)が7歳、美也子(森七菜)が11歳の夏だった。 新しい母には、17歳の息子がいた。5人はギクシャクしながらも、何気ない日常を積み重ね、気持ちを少しずつ手繰り寄せ、お互いにちょっとだけ妥協し、家族として、暮らしはじめていた。 それは平凡だけど、穏やかな日々だった。
しかし、1本の電話が、まるで1滴の染みが広がるように、この家族を変えていく…… 。

そして兄は、父と2人で山登りへ行った翌日、自分の22歳の誕生日に突然、家を出て行った。
父も母もなぜか、止めようとはしない。以来、家族5人が揃うことはなかった。次々と出される母の手料理を食べるたび、家族として暮らした5年間の思い出が麟太郎たちの脳裏によみがえる。 それは、はじめて家族として食卓を囲んだ記憶だった。 兄弟で焼いた焼き芋、父と兄が山で食べたピザ、姉の喉に刺さった焼き魚の小骨。あのとき、家族になれたはずだった。
あの日、父と兄になにがあったのか? 死の寸前、父はなにを思ったのか? 姉が抱えている小さなキズとは? 母が長年隠し続けてきたこととは? 家族として過ごした5年間という時間。それは、短かったのか?長かったのか?

父の死をきっかけに、止まっていた家族の時がゆっくりと動き出す。

そして通夜ぶるまいも終盤に差しかかったその時、兄(窪塚洋介)が15年ぶりに帰ってきた……。

 

とある。

違う家族が新たにひとつの家族として対面するところから始まる。

家族ははじめからなるのではなく、つくろうと皆が、ぎこちなくもそこに努力して、はじめてなる家族もある。子供に言えなかった当時の事を、許しを乞うでもなく告白する場面、告げる方も聞く方も、それなりの覚悟が必要だが、それではじめて本当につながり合えることになる。そうして、みんなが家族を求めていたと知る。

染谷将太の自然体もよし、永瀬正敏は、『光』もそうだったが、角がとれた少し錆びた感じの年加減の演技がいい。斉藤由貴の焦点のあってなさ風に素朴に力まず感情を押さえながら話す演技も相変わらずいいし、戸田恵梨香は、案外?感情表現が上手かもと知ったり。窪塚洋介を久しぶりに観たが、若くして大物と評されていたのがわかる安定感に、年相応さが加わっていた。

ローアングルを多用したカットが、落ち着きを出していて、スクリーンに食い入るように観れるとも知る。

当初、企画書では、最後の晩餐だったが、最初に変わったのも、うなづける。

自分事や実家事として観ないようにとして見始めた今回も、それでも少しは考えるようになっていた。切り離して心から映画として楽しみたい自分と、そうではなく自分ごとと考えさせるのが映画を観るねらいかなと思っている自分が、今回も勝ち負けのつかない勝負をしていた。