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映画『愛に乱暴』を観て、吉田修一の良さを再確認する

夏の力がまだ残る9月最初の土曜にいつもの映画館で『愛に乱暴』を観る。わずか4人での夕方シアターだった。

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(あらすじ)

夫(小泉孝太郎)の実家の敷地内に建つ“はなれ”で暮らす桃子(江口のりこ)は、結婚して8年になる。義母(風吹ジュン)から受ける微量のストレスや夫の無関心を振り払うように、センスのある装い、手の込んだ献立などいわゆる「丁寧な暮らし」に勤しみ毎日を充実させていた。
そんな桃子の周囲で不穏な出来事が起こり始める。近隣のゴミ捨て場で相次ぐ不審火、愛猫の失踪、不気味な不倫アカウント…。平穏だったはずの日常は少しずつ乱れ始め、やがて追い詰められた桃子は、いつしか床下への異常な執着を募らせていく・・・。

というもの。

原作は『悪人』『さよなら渓谷』『怒り』など多くのベストセラーが映画化されてきた吉田修一の同名小説。“怪優”江口のりこ主演で贈る、愛が孕むいびつな衝動と暴走を描いたヒューマンサスペンス。

とある。

江口のりこの感情の出し方のうまさが、全てというくらいのものだった。

少ない登場人物と会話。寄りの多いカットと、場面展開の少なさとワンカメ多用でその自然さもよかった。

それ故、スクリーンに釘付けになり、時間の経過が、あっという間ではなく、時計を見て感じる時間の速度と同じ感覚で観ることができた。1時間45分が、2時間半近い長さに感じる濃くて詰まった感覚だった。

原作の吉田修一の作品は、総じて、人の弱さ、もろさ、危うさ、怖さ、狂気さだけで終わらせない、最後にはどこかに、人の優しさ、人の素晴らしさを描いて救われるものだが、今回もその定石を踏んでいて、吉田修一の良さを改めて感じた作品だった。

原作、原作者の良さに、演者の良さが掛け合わさった心に残る映画になった。