9連休目の日曜日のこと。テレビを見なければ、もはや曜日感覚皆無。そんな時は、ごろっと横になり、ちびだら飲みならぬ、ちびだら読みをしてきた本を読み終えた。
齋藤孝著『不機嫌は罪である』
新聞の広告で見た時からドキリとし気になっていたが、図書館で借りることができ、職場の昼休み、食べながら、休憩しながら読んでいたものを読み終えた。
以下、参考になったところと、→は、コレに対する感想、反応
・現代を生きる人の多くがかかえているのは、行き場のない「慢性的な不機嫌」です。情報伝達の差し迫った必要性があるわけでもなく、不快であることを伝えても事態は何も解決しないのに、無意味な不機嫌を世の中に撒き散らしている人があまりにも多い。
→撒き散らすとはうまい。自分もその1人かも?
・機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、気分をコントロールするというのは立派な知的能力の一つです。
・現代において重要なのが、とりわけ若い人たちが「傷つきやすくなった」ということです。核家族化が進んで大人からきつい言葉を言われることが少なくなったことがあるのか、誰かの不機嫌を感知するとすぐに萎縮してしまうという人が増えているように感じます。
→窓口応対で、指導的な言い方もしにくいわけだ。不機嫌と捉えられてるのか?
・相手が不機嫌さに傷つく度合いが高くなっているぶん、不機嫌の罪が重くなってきているのです。
・上機嫌な職場は、離職率も低くなり、仕事の効率が上がるのです。
・子供と天才以外は、上機嫌でいるに限る
・不機嫌は生まれつきで克服できない「性質」ではないということです。
・あなたが上機嫌になれば、周りも上機嫌に変わっていく
→給料をもらっている以上、それも込みでしょうけど、それが難しいし、みんなそういうことがわかってなくて、簡単に不機嫌を晒し出す。困る。
・存在に対する「承認欲求」があまりにも敏感になり、欲求をこまめに補充しないと自分の心を保てなくなっているともいえるでしょう。
・これはSNSのコミニケーションに限らない話ですが、「文字に残るものに関しては基本的には不機嫌を露わにしない」というルールを決めておくのはかなり重要です。
・現代では「職業としての上機嫌」が求められている。あなたが上機嫌になれば、周りも上機嫌に変わっていく
・かつての日本は人に対して気を遣うことを徹底的に鍛えてきました。気を遣えない人、話しかけられても挨拶をしないような人は世間に通用しませんでした。ところが、核家族化がすすみ、家庭内にも気を遣わなくていい相手しかいなくなると、気を遣うというこころの習慣がだんだんと廃れていきました。
などというもの。
確かに不機嫌なふりをすれば、それで鎧を着けて、周りとのパーソナルスペースを感覚的にも取ることができる。不機嫌のオーラを出すのは、自分勝手なこと。仕事、組織では、それはやってはいけないことと、昔を反省しながら思った。機嫌が悪い人がいると、その組織のパフォーマンスが下がるという考察も紹介されていて、不機嫌の功罪を知った。不機嫌の自己分析の章や、回避方法の紹介も参考になった。
おだやかな上機嫌でいれることを目指して、最近、職場では過ごしている。何より、不機嫌は伝染することを体現している身。負の連鎖は止めることができる。
仕事における自己分析やコミニケーションの大切さを説くのであれば、不機嫌の功罪や、上機嫌の効能も同じくらい大切なものとして説いてくれたらと思う。
読書を終えたら、ドンキとユニクロを掛け持ちで物色して外気にあたる。
帰ってのオヤツタイムは、イチゴ大福。
合わせるコーヒーは、森彦珈琲の森彦の時間、アフリカン・ムーンブレンド浅煎りのドリップパック。
浅煎りに惹かれたが、ドリップパックで、煎り具合まで細かく出している商品はそうそうない。スミレのような甘酸っぱい香りで美味しかった。ネーミングともども北海道のお店というのもいい。
翌日月曜日も休みという満足感、安心感、優越感に背徳感?が、その夜のビールを美味しくする。
ふっくらしたハンバーグにデミソースがうまし。合わせるビール🍻はエビス。
こうしてエビスで恵比寿顔の日曜日の夜になった。