徒然ブログ 風まかせ筆まかせ

日々の気づきと雑感 食べもの、映画、本に天気が多いです

【季節菓子と流行菓子】いちじくのシフォンケーキと、初食!マリトッツォは、なぜかこのスタイル

ポリープ切除後は、特に食べ物に用心しながら過ごしていた。消化のいいものを食べ、普通の食事に戻れた時のありがたさ!

これを契機に腸活と運動をと思うのだった。ゆえに、120%開放〜!は、もう少し先にして、時々のおやつを楽しむ。

【その1】salut 茶琉のいちじくのシフォンケーキ

いい感じのお店、というか外観から入れば目についたいちじくのお菓子、パイ乗せもあれば、タルトもある。中でも今回はコレ↓

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いちじくのシフォンケーキ!
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↑実はスポンジの中にも、クリームとスライスした果肉が仕込まれていて嬉しい😃

果肉の赤みが肉肉しさを強調しているみたい↓
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産直で見つければ買うこと数回の今年ハマっている秋のフルーツ。

子供の頃、実家の庭には、いちじくの木があり、カラスをつつかれないように、競って食べていたのが懐かしい。軸からもげば、白い液が切り口から出てきて、それを下に向け皮を少し押すと、果肉が上に向けて飛び出す。手をベタベタにして甘さとつぶつぶの食感を味わっていた。

【その2】ピスタチオのマリトッツォドーナツ🍩

素直にこの看板に惹かれた〜↓

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初マリトッツォが、ピスタチオ味濃いドーナツ。

ノーマルも多分いいのだろうと予感させる味というか見映えだった。

映画『白頭山(ペクトゥサン)大噴火』を観てお国がらを考える

いつものシアター、いつもの最小スクリーンの最後列で、映画『白頭山(ペクトゥサン)大噴火』を観る。

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【あらすじ】

北朝鮮と中国の国境にそびえる火山・白頭山で観測史上最大の噴火が発生!マグニチュード7.8の地震は遠く離れたソウルをも直撃し、ビルは倒壊し、漢江は荒れ陸橋は崩壊。未曾有の事態に朝鮮半島は大パニックに陥る。史上最悪の災害を止めるため、政府は白頭山の地質分野の権威である大学教授カン(マ・ドンソク)に協力を要請。カンは半島を崩壊させるほどのさらなる大噴火が起こることを予測する。タイムリミットは75時間―韓国軍爆発物処理班の大尉チョ・インチャン(ハ・ジョンウ)は部隊を率いて、北朝鮮へ潜入し火山の鎮静化を図る秘密作戦を実行に移す。そのためにはまず作戦成功のカギを握る北朝鮮人民武力部工作員リ・ジュンピョン(イ・ビョンホン)を見つけ出し、次の大規模噴火を何としても食い止めなければならない。果たして彼らは、朝鮮半島の崩壊を阻止することが出来るのか!?

【感想】

イ・ビョンホンが限りなく主役の、それでも準主役なんだろうなあと。何より、華やかな時代を過ぎ、少し荒々しさが取れたように見えて安心した。

家族愛、人間愛、国家愛、人類愛をストレートに考えさせるのは、やはり韓国映画の醍醐味。ベタ過ぎる構成、展開にくすぐったくもなるが、それを抑えることが、この作品でも出来ていた。

この辺り、邦画、洋画というジャンルではくくれない、韓国映画の面白さとして独立しているように思う。

何より、韓国、北朝鮮、米国に中国を核の覇権争いが絡むという、ギリギリのテーマで結んで描くのは、韓国ではできても、日本が関係国だったら絶対、製作は出来ないんだろうな〜とも思う。

お国柄は、映画でもわかる。それもまた、おもしからずや。

【夏旅】日帰り編〜こんにゃく番所の巻

この夏、県の企画で、日帰り、宿泊、1000円につき、500円引き(上限5000円)プラス2000円のクーポン券が付くプランがあり、しかも、その市では、PayPay払いで20%引で買えた。こうしてお得に過ごしたくて隣の市までの日帰り食事旅をすることがありました。

そこは、ココ↓

上山市楢下のこんにゃく番所

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受付を済ませて離れの個室へと向かう

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席につきランチョマットは昔の街道の地図も趣きある嗜好
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特別懐石プランのお品書きに胸躍る!

どれも蒟蒻を使った料理で、どんな風にどんな味わいかが楽しみになる。

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食前酒代り:葡萄

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二の重

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蒟蒻にぎり
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右側の全景
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サザエのしぐれ煮

これもこんにゃく
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黒豆蒟蒻は、2粒だけ本物の黒豆とは、すぐわかりました
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水雲蒟蒻
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汲み豆腐蒟蒻
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数の子蒟蒻の食感を出すのに10年かかったと
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煮物:揚げ蒟蒻の袋詰め カレー風味
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油揚げに見立てている!

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御椀:碓井豆腐
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ここで、女将さんがご挨拶にみえた。

となり街からと答え、地元の良さを再発見になると話す。しゃんとした佇まいと品のいい言葉遣いに、こちらも背筋が少し伸びる。

そうして、今が旬紅花を一輪差し出された。ありがたいし、綺麗だ。
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部屋からの眺めもいい
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揚げ物:蒟蒻そうめん雪
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酢の物:三色蒟蒻の小川巻
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造り:

海苔刺身蒟蒻、鳴門巻き蒟蒻、甘海老蒟蒻、烏賊刺風蒟蒻雲丹和え、昆布〆蒟蒻の薄造り、さらし鯨、妻一式
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焼き物:帆立蒟蒻夏野菜ソース掛け
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強肴:フカヒレ蒟蒻
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食事:蒟蒻蕎麦
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ほぼ蕎麦の食感に驚く
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甘味:ラ・フランスみぞれ蒟蒻をコーヒーでいただく
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こうして2時間近くかけて蒟蒻尽くしの美味しい食事を頂いた。
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部屋を出て
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下を見ると、前に来た喫茶コーナーが眼下にあった。
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たかが蒟蒻をされど蒟蒻に引き上げた技術と味わいに、地元再発見といいランチになった。

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紅花を部屋に飾り、美味しい夏の一日が終わっていった。

 

去年も似た頃に来ていました↓

https://kazukun2019.hatenablog.com/entry/2020/07/15/211626

大腸ポリープを切除しました

昨秋の人間ドックで精密検査が必要となり、大腸の内視鏡検査をしたところ、ポリープが見つかったため、昨日、切除してきました。

精密検査の記事はこちら

https://kazukun2019.hatenablog.com/entry/2021/07/04/063000

 

【前日まで】

・手術の方法と術後の過ごし方を調べる

内視鏡検査の際、カメラの画像はずっと見てたので、やや大きめのポリープを焼き切るのだろうと

 

・食べておきたいものを食べておく

→フルーツ三昧だったが、2日前の日曜ランチは焼肉にしました。再開までが少し名残り惜しかったから

 

・前日は、繊維質の少ない食事で3食過ごす。

→節制の練習と思えば容易い

 

・術後の食材を買っておく

→お粥やうどん、プリンや練製品。野菜は野菜100%ジュースを

 

・前日は下剤を飲んで早めに寝ました

→当日は、朝6時から腸管洗浄剤を飲むため

 

【当日手術まで】

・下剤が効いて目覚まし前に起きる。しばしの悶絶あり

・15分おきに腸管洗浄剤2回、水1回のサイクルを5セット繰り返す。グレープフルーツの甘ったるい味がちと苦手。トイレがせわしない

・ひと段落し、正午の受付に向けてクルマで向かう

 

【病院にて】

・着替えたら、腸の働きを抑える注射をし、開始。ずっとモニターを見ながら、先生と一緒にポリープのありかを探す気分。

・切除部分を膨らませてワイヤーを引っ掛けたら電流で焼き切る。止血のクリップもあっという間

・切除したポリープを取り出すのにやや手間取ったが、取れたものがシャーレに乗るまで見届けた。

・先生に聞けば、直径1センチ7ミリ程で、S字直腸の箇所にあったと。ただしカーブのところだったため、摘出にやや手間取ったとのこと

・15分ほど安息の間、看護師から生活、食事指導を受け、着替えたら会計を済ませる

・出血を抑える薬を院外処方してもらい帰宅

 

【帰宅当日】

・何より水分補給。口にしたものは、決めていたコレ↓

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プッチンプリンのノーマルではない、バージョンの方。植物生まれの〜がなんとなくいいから

・腹に力をかけないようにソファーでゴロゴロ

→このブログの下書き作成に丁度いい

・ご飯は、お粥に親子丼の素を加えたもの。身の柔らかい焼き魚少々。豆腐とアボガドのグラタン。という柔らかいもの

 

【感想とこれから】

・仕事がら、さまざまな画像は見ていたし、調べてもいたので怖さはなし。自分の想像したものを確かめる感覚だった

→仕事が今回は幸いした。でなければ、ただのビビりだった

・一週間後に組織の病理検査結果がでる。2年後の再検査に向けて、生活と食事を見直すことにした。腸にも優しい生活を送ろうと

 

【まとめ】

長年生きていればこういう事もある。自分の身体に正面から向き合う機会になったし、生活の見直しや、食事の制限で少しの我慢と食べれる事のありがたさを知るいい機会になった。

これも全ては諸行無常かな

 

 

 

映画『ドント・ブリーズ2』を観て、知恵を持つ事の大切さを思う

納涼とは聞こえがいいが、暑い時にはホラー映画で涼むという日があった。

いつものシアターいつもの最小スクリーンの最後列ど真ん中で、『ドント・ブリーズ2』を観る。

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(以下公式サイトからのあらすじ)

人気のない郊外の古びた屋敷に住む、ある盲目の老人。彼はその屋敷で一人の少女を大切に育て、二人だけで静かに暮らしていた--
その男こそ、8年前、強盗に押し入られた被害者として生きているが、実は強盗団を惨殺した過去をもつ、あの盲目の老人だった・・・。

ある日、謎の武装集団が老人の屋敷に静かに忍び込む。その目的は少女--。
暗闇の中、全てを知り尽くした屋敷内で全員の抹殺を試みるも、訓練されていた集団は老人を襲い、火を放つ。
命からがら炎の中から逃げ出したが、そこに少女の姿はない。目覚める狂気の怒り。老人は己の手で大切に育てた少女を取り戻すため、
武装集団の後を追う・・・。

その集団はなぜ少女を狙うのか、少女はいったい何者なのか、老人はなぜ少女に固執するのか。
全ての真実を知ったとき、前作を超える衝撃に息が止まる--。

 

というもの

初回作が、静寂の中、いきなり現れたかと思えば、容赦ない攻撃を仕掛ける、その落差、振り幅の大きさにドキドキしたのを覚えている。

今回も、暗い中、見えない中、音、熱、風の流れを感じ取りながら戦う盲目の元軍人の主人公。家の中の仕掛けや、置いてある物を把握している我が家とは異なり、敵地での戦うシーンはハラハラドキドキしっぱなしだった。

それらは、知識やモノというよりは、知恵を使ってのものなのだろう。持っている知識やモノ知恵を使い、戦いに役立てている。知識もモノもあった方がいいが、たとえ知識やモノがなくとも、その時は知恵を使う、極限状態なら振り絞ることで、知識やモノがはじめて活きてくる。ということなのだろう。

稲作をしていた父も、たくさんの知恵を使いながら、割合としては大きな持ち分の田んぼを、人よりも要領よく、早くから準備して備えて、作業にあたっていたように思う。その血を受け継いでいるかどうかはわからないが、そう振り返ることが出来ることはいい事だと思う。

こう書くのには訳があって、名作ドラマ『北の国から』のあるシーンの言葉だけが、なぜかクッキリと残っていたから。

それがコレ↓

「金があったら金で解決する。金がなかったら――智恵だけが頼りだ。智恵と――、自分の――、出せるパワーと」(『北の国から‘92旅立ち』)

 

だから、知恵を持ちたいと思う。

知識を使える知恵という狭い意味ではなく、生きる上での、生きるための知恵というものを持ちたいと思う。

戸田屋正道の涼菓子三選

夜8時の散歩、東の低い空には満月2日後の丸い月がオレンジがかって浮かんでいた。少し涼しさを感じるのは、8月下旬の証拠。

とりあえず、今月食べた自称市内No. 1の和菓子店のお菓子を振り返る。

その1:グレープフルーツゼリー

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一度くり抜き、ゼリーにして固めて戻したものだが、生の果実に限りなく近い瑞々しい粒感に、清々しい酸味と甘み!

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その2:梅どらやき
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梅の焼印が可愛い。梅餡は、甘すぎず練り過ぎずのいい塩梅で、種を外した青梅漬けも入り、梅三昧!
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その3:ぜんざいプリン
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硬めのプリンと、その下に隠れる本場和菓子屋の美味しい餡が和洋折衷の甘さを醸し出して最高!
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これまでも、チラホラ登場しているお店だが、いずれも菓遊専心を掲げる戸田屋正道の涼菓、ここにあり!の心意気を感じさせるものに、満足満足。

美味しくいただきました🙏

一年で一番、穏やかな帰省の時

盆の帰省からあっという間の一週間が経った。

盆の帰省は、どこかに湿った感覚を持っている。着く前に地元の和菓子屋で水羊羹を買い、供える。

仏壇の飾りも盆灯篭も、毎年ながら、新鮮に見える。配置を覚えてないため、写真は備忘のためでもある。

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賑やかな仏壇が嬉しくもあり、物悲しくもある。それでも、先祖の霊が帰ってきているのは、嬉しいものになるのだろう。

寿司を食べ、だだちゃ豆、とうもろこし🌽を茹でて食べ、スイカ🍉を食べ、冷たい鳥そばを作り食べ、ゆっくりとした一泊二日になった。

去年と変わらないお盆、変わらないお盆が、いいものと思った。

翌日、墓参りも済ませれば、夏の終わりの始まりに向かうのだろうと、そんな空を見ながら帰ってきた。

比べるなら一堂に会して〜東光のお酒編〜

帰省前に更新。20度を下回るお盆の土曜の朝。盛夏の頃が懐かしい。

その頃は、これをやってみたくて↓

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日本酒の利き酒セット風

いつもは、四合瓶を一週間近くかけて飲むものを、あえてというかセットを見つけたのでお試ししてみる。もちろん、地酒!

セット前のセット↓

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向かって左から超辛口純米吟醸

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真ん中は純米吟醸原酒
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右が純米酒まろやか(県内限定)
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真ん中が一番バランスあって飲みやすいが、夏には右の純米酒もスッキリしてていい。左の超辛口は、合わせる料理を見つけてから飲みたいもの。

ツマミは、正月料理のカズノコ豆を再現。
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一晩かけて塩出しをし、秘伝豆(ひたし豆)も戻して、と作ってみたが、まずまずの味。

食べたいものは自分で作る!というほどでもないが、飲むのが楽しくなるひと手間は、かけていいものと思う。

スイカ風とリアルメロン

涼しい風が入ってくる朝は、このまま暑い夏が終わるかのよう。

それでも、野菜と果物に満たされる8月をしっかり感じる食卓の風景。

スーパーのチラシを見て買った、県内の有名食品加工業者が、販売しているものが、面白い🤣↓

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イカ柄🍉!?

引いた画がコレ
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つまりはロールケーキ!

イカ果汁を使っている本物?のスイカロールケーキ!

イカ王国ならではのおもしろスイーツ。

こちらは、四角い箱に入った丸いメロン🍈
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初任地の同期の方から、お中元の頂き物。地元の味は、やはりいい。

この場からも、ありがたくお礼申し上げます🙇‍♂️

と書いたら、本物のスイカ🍉をいただく、お盆の朝のあるあるでした。

磨きをかけるはクルマも同じ

夏でクルマで出かける事も多いが、気になっていたのがヘッドライトの黄ばみ😨

除去するキットを買い自力で磨くが、まだらになっていた。

と、そこへ、洗車とカーコーティング専門店がオープンするとの事で、早速予約を入れて行ってきた。

論より証拠のこの輝き!

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それより?それに、この前フイアツト500の写真を載せたのが効いた?のか代車がフイアツト500!

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1.4 16V ラウンジ のモッドブルーか?

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バックスタイルも可愛い!

グラスルーフも付いている

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イタ車🚗は初乗り!セミオートマには慣れが必要だが、街乗りには程よいサイズで取り回しが楽チン。

施工の間、出来るだけ乗るようにし、指定の時間に受け取りに行った。

それでも自車に再会はいいもの!

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新車の輝きが蘇るとはこの事と、嬉しくなるも、この先も長い付き合いをと願うのだった。

夏日の涼み方〜Day & Coffee編

雨のち曇りのち晴れの台風通過の日。暑いと雨を求めるが、雨だと晴れを求める自然な不自然さ。

ある日の映画帰り、図書館が休館のため、コーヒー店を探してあちこち移動するも、なぜか休みばかり?

そこで、かねてから気になっていたお店へ。

コーヒースタンド「Day & Coffee」

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暑い日に涼しい店内、しかも仄暗い店内から、暑い外を眺めるという、この上ない贅沢さ!陰翳礼讃!

コーヒーはエアロプレスでお願いし、黒糖入りワッフルと共にいただく。

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聞けば、マスターは隣県出身との事で、地元のコーヒー店の名前を出し、話が盛り上がる。

チェーン店ではできない、寛げる会話と時間が終わり、外に出れば、何事もなかったように、暑い夏の午後だった。

イタリアンのち、イタリアンカラーの野菜や果物たち

連休の中日は、お隣町のショッピングモールへ。麦わら帽子を買い替え、予約のこのお店へ↓

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ティファニーブルーのフィアット500Cが、フレンチではなくイタリアンと教えくれる

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トラットリア ラ・ストラーダ

名前からして心躍る!

前回訪問の記憶も蘇る!↓

https://kazukun2019.hatenablog.com/entry/2020/01/13/182738

メニューを眺めがら仕切り版に映った外を眺める
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迷い甲斐あるメニュー!↓
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からCランチを
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酸っぱすぎないドレッシングが好きだし、ミニトマトが甘ーい

で、メイン登場!
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山形県産カボチャのニョッキ セージとバターのソース!
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茹で加減抜群で、中と外の柔らかさに差がなく、美味しい!メニューにニョッキが多いのも納得!

カボチャ独特の甘さ、香りが強すぎないのはバターとセージのおかげで、黄色のクリームソース?のようにトロトロしているのに絡めながらいただく。

と、もうひとつの楽しみがコレ↓

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コーヒーとドルチェだが、ドルチェはカカオのババロア
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もちろん美味し!

実は楽しみが、KIMBO(キンボ)コーヒー!エスプレッソに近い、濃いながらもきつすぎない味に、前回ハマった。おかわりすれば、カフェイン中毒が待っているかもと思うと、一杯を本場のように砂糖多めに入れて味わう。
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連休の中日なのか、開店時から一周したのか、落ち着いた客数だった。隣の隣には、前任地でお世話になった職員の方がいて、帰り際ご挨した。(チャオとは言えない先輩)地元の方で、偶然でも、こういう時に美味しいものを食べようと同じお店を選んだという嗜好が合うことが嬉しい。食の好みが合う事は大切、大切。

道の駅の産直コーナーで、今が盛りの野菜と果物の調達に成功する!
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朝採りオクラ、枝豆、ひたし豆、みょうが、ミニトマト、黄色い桃、ピンクの桃と賑やかなカゴの中!

帰れば、枝豆を茹で、新聞紙に広げて扇風機で冷ます。
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この上から塩を振り、皿に盛ったら、今宵のビールのお供になる事、昨日も今日も。

翌朝は、黄桃を頂きました。

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暑い暑い夏ではあるけど、溢れる野菜と果物に囲まれる季節もいいものと知る。

祖母の命日、五木寛之著『無力(むりき)』を読み、人は揺れ動くものと改めて知る

今から30年前の8月6日は、祖母の命日。その日も、朝からセミが鳴いている晴れた日だったことを覚えている。毎年思い出すが、いつも新鮮に思い出す。

一昨年の記事では、やはり広島の原爆の日にも触れていた↓

https://kazukun2019.hatenablog.com/entry/2019/08/06/221151

命日の日は、せめて自身がおだやかに過ごせれる日になるようにと願い、穏やかに過ごせたら感謝する日と、いつからか決めている。それでも、穏やか故に、その対比も出てくるのだが。

そんな日に読み終えた本。本のタイトル 無力と書いて、むりき と読む。

むりょくではない、それなりの意味あるチカラを語っているのではないかと表紙を見ていつかに買った一冊を読んだ。

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以下、気になった箇所

・自力であれ他力であれ、そのあいだで揺れ動く状態を否定的にとらえるのでなく、人間はその二つのあいだを揺れ動くものであるととらえる。自分はどちら側なのだ、と頑張るのではなく、肩の力を抜いて、不安定な自分のふらつきを肯定するのです。これが「無力(むりき)」という考え方の根本です。

・そういう自分の状態を正直に見て、自分の中にある自力の要素と、他力を憧れる気持ちとのあいだで揺れ動いている不思議な感覚。そこを「無力(むりき)と考えるようになりました。

・人は自力で生きるのか、それとも他力によって生きるのか。相反する二つの力のいずれかではなく、私たちは自力と他力のあいだを実は分子の運動のように、往復運動を繰り返しながら動的に生きているのです。その状態をどうとらえるか。そこを考えていくときに「無力(むりき)」という言葉を置いてみると、妙にしっくりくる気がするのです。

・誤解されがちですが、たとえば「目には目を、歯には歯を」というのは、決して「復讐のすすめ」ではありません。被った害に相応するものを返す、ということです。ただし、一発殴られたら一発殴り返すのはいいが、二発はいけない。倍返しとか、怒りにまかせて半殺しにするなど許されない、と教えています。

・そう考えると、ブレるというのは人間のあり方として自然なことです。物事を固定的にとらえず、時代とともにブレながら生きる、それが人間のあるべき姿ではないでしょうか。(中略)この世では、変わらないものなど何ひとつない。すべてが変転していくのです。

・誰しも生まれてくる時代も場所も、自分で選ぶことはできません。だからこそ、今がどういう時代で、どういう場所で生きているのか、人間が自分の足で歩き出すには、現状を認識するということが最初の一歩です。まず、現実を「あきらめる」。この場合の「あきらめる」とは投げ捨ててしまうとはとらえない。「明らかに究(きわ)める」ということ。きびしい現実を知って無力感に陥るのではなくて、つらいことであれ、曖昧なことであれ、はっきりとそれを受け止める。曖昧なら、曖昧だということを受け止める。一人一人が、そうして無力の第一歩をふみだすことです。

・戦後を代表する思想家の花田清輝は、「楕円の思想」を説いています。ひとつ中心を持つ真円ではなく、二つの中心のある楕円。ルネサンス的思想というのは、その中を揺れ動く楕円の思想のようなものだというのです。私流に解釈するなら、一つの円でもなく、二つの円があるものでもない。自分を中心とする円のなかで物事を決めるのでもなく、両輪あるなかでどちらかに決めるのでもない。あるいは、二つの円が重なる場所にいるのでもない。

・禅の教えで、よく「無心」ということがいわれます。心を無にして雑念を払え、ということだと理解されがちですが、そもそも、次々と心に浮かんでくる雑念を振り払おうとすると、そのこと自体が雑念となってしまう。そういう、ふわっとした状態は、宗教的確信もなければ思想的根拠もないと考えられやすい。しかし実は、それこそが人間本来の正しい状態ではないかと思うのです。

・無力(むりき)というのは、がんと対立するものでもなく、調和するのでもなく、それと共存する考え方だろうと思います。自然を敵ともせず、服従するのでもない。どちらかに決着をつけるというのではなくて、その微妙な間のところで現実を生きていく。それが、自力と他力を超えた第三の道、無力(むりき)の道だろうと思います。

・では、無力(むりき)と無力(むりょく)のちがいはどこにあるのか。無力(むりょく)は、漠然として頼りないという無力感から、自殺や社会放棄をしたりする人が出てくる。動きのとまった、後ろを向くばかりの姿勢です。無力(むりき)というのは、無力(むりょく)の状態を認識して、揺れ続ける動的な生き方を肯定し、そのなかで何かを目指そうとする。前向きで、自在な姿勢です。

・他力だけにこだわって、朝から晩まで他力でなければ、また自力に偏ったなどと欺いていては駄目だろうと思うのです。自力といっていくら遮二無二頑張ろうと、時代の流れもあれば、社会の動きもある。運、不運というものもある。どちらか片方の力に引っ張られることのない、とらわれない生き方を無力(むりき)といっているのです。

↑参考ここまで

参考箇所が盛りだくさんのヒット作に出会った。五木寛之さんといえば、名著「風にふかれて」というタイトルからして、時には主体的に時にはうまく流されながら、その両方、またはその間で生きていく”振り子理論”を語っている人だと思っていたが、今回も、それを別の言葉で表しているように思った。

これを読んだら、命日も、心穏やかに過ごそうとはするが、決して心の奥底までは穏やかになっていない、なれないものとの間で、今年もやはり揺れ動いていたものと知る。

映画『私はダフネ』を観て、悪気のなさを考える

連日連夜のシアターネタ。今回も昨日と同じ映画館の奇しくも同じスクリーンで、『私はダフネ』を観る。昨日から一列下げて、ひとつ左寄りのベスポジ!

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(以下、公式ページから)

夏の終わり、父のルイジと母のマリアと三人で休暇を過ごしたダウン症のダフネ。しかし、楽しいバカンスが一転、帰り支度の最中に突然マリアが倒れてしまう。すぐに病院に運ばれるが治療の甲斐なく、帰らぬ人に……。あまりに唐突すぎる母の死に、ダフネは泣き叫び、感情を露にする。ルイジはそんな彼女を心配し、必死に落ち着かせようとするが、ダフネは辛く当たってしまう。

マリアの葬儀が終わり、普段の生活へと戻る二人。ダフネは、元来の明るさと、勤務先のスーパーマーケットの同僚や友人の支えによって、少しずつ日常を取り戻していく。一方、気丈にふるまっているようにみえたルイジは、喪失感と不安で押し潰されそうになっていた。一家の精神的支柱であったマリアがいなくなってしまった今、ダフネと二人だけで、どう生活していけばいいのか。

そんな父の異変に気付いたダフネはある提案をする。それは、母の故郷コルニオーロへ歩いて向かう、ことだった……。

とある。

ダウン症を調べてから出かけて行った。その素直すぎるストレートな物言いが、時には人を不快にさせるが、時には言い当てていることもあり、コレこそ、悪気のない故の事と知る。元来、悪気のないタイプなのだ。その彼女を励まそうとする周りや父が、いつの間にか、励まさせる立場に変わっているのが、しみじみ観れるポイントだった。

悪気がない人、ある人、というのは、簡単にわかるもの。ある人とは、口の良さ、悪さとは違う、何かそこに感情が加わったものの言い方をしてしまう人のこと。大抵の人はないが、感情を乗せるスイッチのようなものを持っていて、誰にでも、または特定の人にだけ、そのスイッチを押してしまう人の事。

腹立たしいが、自分がそういうスイッチを持っていない人種である事に安堵を覚える。

他人の心は他人のもの。変わるとか、ましてや変えようとか思うことはもうないが、類は友を呼ぶというなら、スイッチを持たない者同士で繋がっていたいものと思う。

映画から脱線しているが、こんな事も考えたという事で。

映画『ベル・エポックでもう一度』を観て、諸行無常をあらためて想う

暑い一日、途中の雨が、少しだけ表面温度を下げてくれる。

そんな日、いつもの映画館で、『ベル・エポックでもう一度』を観る。

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(以下、公式ページから)

何もかもがデジタル化された社会についていけないヴィクトルは、かつては売れっ子イラストレーターだったが、今では仕事を解雇され、妻のマリアンヌにも見放されてしまった。冴えない毎日を送る父を元気づけようと考えた息子が、友人のアントワーヌが始めた〈タイムトラベルサービス〉をプレゼントする。映画製作を応用して客の戻りたい過去を広大なセットに再現する、体験型のエンターテイメントサービスだ。

ヴィクトルは「運命の女性と出会った1974年のリヨンに戻りたい」とリクエスト。すると、セットにはあの日のすべてが蘇っていた。用意された70年代ファッションに着替え、想い出のカフェで、アントワーヌの恋人で女優のマルゴが演じる〈運命の女性〉と出会うヴィクトル。幸せだった日々を再体験し、見違えるほどイキイキしたヴィクトルは、唯一にして全財産である別荘まで妻に内緒で売り払い、さらなる延長に注ぎ込む。だが、ある時突然マルゴが降板し、別の女優が現れる。ヴィクトルの楽しい〈再体験〉は、マルゴとアントワーヌの関係にも“ある変化”を与えたのだ。果たして、〈タイムトラベルサービス〉に用意された驚きのエンディングとは──?

とある。

フランス🇫🇷語の優美なイントネーションと、セットで再現しても充分に雰囲気ある街並みに、憧れの地である事も再認識させてくれた。

ちなみに、ベル・エポック(良き時代/美しき時代)とは、フランスにおける19世紀末から1914年に第一次世界大戦が勃発するまでの約25年間を指すということだが、映画では、二人の出逢いのバーの名前になっている。

映画のセットを再現してもらい、その中で昔を懐かしんでいるが、そうもばかりの展開にはならない。

誰でも、良かった時代をかけがえのないものとして再登場を願うかもしれないが、それは叶わない夢と気づく。その時代があったから、今があるという理解もできる。しかし、楽しい最中にいると、こう思うこともない。そうして、移り変わってある時に振り返ると、こう思うもの。諸行無常とは、後からわかるものかもしれない。そういう心構えで、日々を過ごすことが出来るほどではなく、人の道半ばと思い知るのもいい機会なのだろう。